今は転職をしていて、違う仕事に就いていますが、借金をした当時は広告代理店に勤務していました。広告代理店は世間で言われている通り、やはりお客さん、クライアントの接待、お付き合いが多いのです。
飲み会はもちろん、忘年会、新年会、昇進祝い、転職祝い、ゴルフ、社員旅行など。いろいろな行事に参加しなければなりません。当然、会社から接待費として支払ってもらるものもありますが、自腹もあります。ゴルフや飲み会は自腹です。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • バッドマン
  • 男性
  • 39歳
  • 会社員
JCB、ノーローン 90万円 平成20年8月-現在

お客さんの接待、お付き合いが断れなくて。

今は転職をしていて、違う仕事に就いていますが、借金をした当時は広告代理店に勤務していました。広告代理店は世間で言われている通り、やはりお客さん、クライアントの接待、お付き合いが多いのです。
飲み会はもちろん、忘年会、新年会、昇進祝い、転職祝い、ゴルフ、社員旅行など。いろいろな行事に参加しなければなりません。当然、会社から接待費として支払ってもらるものもありますが、自腹もあります。ゴルフや飲み会は自腹です。

飲み会などは週に2回くらいはありました。1回あたり7、8千円程度。年末年始はほぼ毎日のようにあるのです。それに付き合っていて、お金はありませんでした。付き合えないというと仕事を切られる怖さから、それは選択できませんでした。
その当時、きちんと結婚もしていたので、家庭もありました。家庭にはほとんどいなかった記憶があります。朝は早くから仕事に。夜も遅い。週末も休みがない。そんな生活が過ぎて行きました。

給料は30万円くらい。家計をやりくりしてなんとかやっていましたが、やはり3週間目くらいになるとお金がなくなるのです。そこで、利用し始めたのがクレジットカード。当時所有していたカードでキャッシング。1万円ずつキャッシングをしていました。それが月に合計すると5万円くらいになっていたでしょうか。それを次の月に返済する。その繰り返しでした。
しかし、だんだんとお金を使う機会も増え、
それだけではやりくりが厳しくなり、消費者金融にも手を出し始めました。


キャッシングをし始めた頃は、近くの銀行で下ろしていました。
というかキャッシングで借りていたのですが。飲みに行き前や途中でもキャッシングできる機械を見つけると借りていました。そのうち、コンビニでも借りることができるようになり、コンビニを主に利用していました。
毎回、毎回、「まあいいや」という気持ちで仕方なく自分に言い聞かせ借りていたような気がします。

当然、良い気持ちはしませんでした。自分には言い聞かせていましたが、罪悪感もありました。家庭もあったので、家庭にも何もしてあげられず。そして家にもいないし・・・妻には内緒で借金をしていましたが、だんだんとバレるようになり、喧嘩も増えました。仕事柄仕方ないとはいえ、家計は火の車でした。その現場に自分でも、どうにかしなければという思いはありました。

家では質素なくらし。家庭には何もしてあげられず。

毎月、
おつきあいでお金が足りずキャッシングをしていたので、その返済が多くなっていきました最初のうちは返済可能な範囲でかりていましたが、そのうちそれがオーバーするようになり、
返済ができなくなるという事態も増えてきました。その頃、1週間利息ゼロの商品を借りるようになり、それで返済し、給料がでるとそれで別の返済。お金が足りなくなるとお金を借り、返済するとまた違うカードでキャッシングなど。そんなことが続きました。

もう家計はパンク状態。ほとんど家計は妻に任せていましたが、渡す金額も少なくなり、10万円でやりくりをしてもらっていました。子供も小さかったので、少なくて済んだかもしれません。
家庭はそんな状態でしたが、仕事関係ではそんなそぶりは見せることができませんでした。そんな生活がずっと続きました。仕事を辞めて、違う仕事を探せばよかったのですが、それもできずズルズルと仕事を続け、借金も続きました。当然、生活は苦しくなるばかりでした。

家庭はバラバラでした。妻と小さな子供は非常に寂しい思いをしたと思います。今は、転職し、家庭はもとに戻りましたが。たまに昔の話をすることがあります。妻からは、何回、家を出ようと思ったかということを言われます。
また、督促の電話や訪問を受け、全然知らないと答えていたそうです。

そんなことはしょっちゅうだったようで、お金がないときは実家に連絡し、お金を少し仕送りしてもらっていたそうです。
あとで知り、非常にショックを受けました。